相談堂エノキヤの歴史

明治4年。『相談堂エノキヤ』の前身、『榎屋薬舗』をこの福岡県行橋市に初代が薬屋として営みを始めました。榎屋という屋号は、薬屋の代表名詞のようです。本屋を紀伊国屋、呉服屋を越後屋と呼んでいたのと同じように、薬屋を榎屋と呼んでいたのではないか、と言われています。

應病施薬臨機応変 病に応じて臨機応変に薬を施す

これは、わたしの曾じいさんである初代が残した看板の言葉です。分厚く重い木の板に書かれた力強く達筆なその筆文字。板はすすけ、古ぼけてきているけれど、その曾じいさんの想いと魂は枯れ果てることなく今は四代目である私に看板と同様、引き継がれています。

受け継がれる想い

初代の写真

初代は軍人経験を持つ気骨人でした。
「それならばこれを煎じてのむがよかろう」
隣家の娘だった祖母がまだ幼い少女だった頃。そう言って来客した患者さんや家族に腕組みして薬を処方する曾じいさんは、見るからに貫禄があり、子供ながらに怖い存在だったのだそうです。口元に携えた髭と着物姿の風貌。そんな見た目は恐ろしい初代に、たくさんの患者さんが慕ってきました。「先生、あの薬のおかげで娘が元気になったよ。ありがとう」店の軒先には、たくさんの笑顔があったのだそうです。

二代目を継いだのは私の祖父でした。祖父は大正15年に現在の、大阪薬学大学を卒業し、兵庫県庁で薬剤師としての出発をします。その後、現在の福岡市西新にて薬局を開業し、祖父の処方する薬は評判がよく、たいそう繁盛していたようです。初代・曾じいさん亡きあとは行橋に帰郷し、榎屋の屋号を「ヱノキヤ」と改名し後を継ぎました。
しかし、その後、第二次世界大戦が勃発。戦況の激しくなるなか、陸軍薬剤官として現在のミャンマーに赴任し、伝え聞くかの「インパール作戦」のなか戦死してしまったのだそうです。

薬剤師として戦場で生涯を終えた祖父。二代目を継いだ祖父は、初代の曾じいさんとは本当の親子ではありませんでした。子供のいなかった曾じいさんは甥である祖父と養子縁組をし、後継者としたのです。血は繋がっていなくとも、「應病施薬臨機応変」の想いは曾じいさんから祖父にちゃんと受け継がれ、心は繋がっていたのだと思うのです。

戦後の怒涛の中で

祖父亡き後、祖母は5人の子供を抱えてヱノキヤを守っていきました。このときの祖母の行動力と根性には今でも頭の下がる思いです。

この当時、薬屋は病院に医薬品などを卸す卸問屋の役割も果たしていました。しかし戦後の怒涛の中で食べ物もなければ、薬を手に入れるのも困難な頃。祖母は「この医療品不足の状態をなんとかしなければ!」と住み込みで働いていてくれていた番頭さんに大阪の道修町まで薬を買いにやったのだそうです。当然、現金払いでなければ、どこも薬なんて分けてはくれません。調達は困難を極めました。

夜行列車を乗り継いでやっとの想いで仕入れた薬は自転車で病院を廻って卸していきました。戦後の混乱から高度成長期へと突入した時期。たったひとつの薬さえあれば助かる命がいくつもあったはず。どんな思いで薬を届けていたのだろう…。やはり祖母の胸にあったのも、初代の「應病施薬臨機応変」という言葉でした。

三代目は私の母が継ぎました。
母は女性の薬剤師がちらほらと出始めた頃に薬剤師となりました。熊本大学薬学部10回卒です。
この時代は、驚く勢いで新種の抗生物質が登場し、次いでステロイド剤が大手を振って迎えられた時代です。ちょうど日本は高度成長期に突入し、先進国に仲間入りすると共に生活水準などもどんどん上がっていきました。しかし、その反面、医学の進歩に伴い、病気の症状は複雑化しました。同時に、副作用の問題などもでてきました。
「対処療法だけでは真の健康は得られない」。そう感じた三代目の母は、古きよき日本の知恵である漢方療法の勉強に取組みはじめました。まだ、未知の分野であったにも関わらず、漢方治療の勉強に乗り出せたのは、彼女の持ち前の好奇心と先代の教えが手助けをしたようでした。

「信頼し、相談に訪れる患者さんに少しでも安心と幸せをもたらせてあげたい」。
そんな初代の想いが通じているのか、現在でも「あんたの婆ちゃんは凄かった」という祖母のファンや、「姿を見るだけでほっとする」とおっしゃられる母のファンのお客様がまだまだ大勢おられます。

「應病施薬臨機応変」の原点に立ち返る

イメージ画像

四代目を継いだ私は、岡山大学大学院薬学研究科を修了後、製薬会社の研究所に入所しました。「医薬品とはあくまでも対症療法に過ぎない」。西洋医学の研究職と、その後東洋医学の漢方医の元で勉強した経験から、私が気づいたことでした。それは、「人は自然の一部である」ということ。自然の一部であるはずの「人」が、自然に逆らい、無理が生じた結果が「病気」を生むのだということ。
すべてはバランスであること。ただ単に薬を与えればいいだけではない。「自然環境、食物、生薬、気などエネルギー、善なる感情などが治癒に導く」という概念が薄々わかってきました。

患者さん一人ひとりに生活状況や感情があります。特に人間の感情「氣」というものを中心に考え、患者さんの日常生活を尊重しながら施薬するという「應病施薬臨機応変」の原点。これからも先代の教えを胸に精進していきたいと思います。私は、もう亡くなってしまった曾じいさんと話すことはできませんが、この古ぼけた看板が、私に語りかけてくれるような気がするのです。

当社のスタッフはまだ若いスタッフばかりでございますが、その熱意と向上心をもってまだまだ進んで皆様の良きアドバイザーとして尽して行きたいと思っています。

今後ともご指導ご鞭撻のほど宜しくお願いいたします。

代表取締役 中尾典義

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